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MATSUMOTO STUDIO〜お金がなければ、自分の魂を売らなければいけないでしょ。だから、稼ぐ。〜

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83.1Mhzレディオ湘南にて放送された、ラジオ番組「湘南ミュージックタウンZ』内の湘南ミュージックシーンを活性化させる新コーナー「アフロMASUDAの最強ラジオステーション」で放送しきれなかったディレクターズカット版を、このメディアサイトの誌面をお借りしてPR記事にして特集していきます。

今回は、2月17日(土)放送回の特集です。

▽「アフロMASUDAの最強ラジオステーション」とは▽

最強ラジオステーション取材募集中

こんにちは、咲恵です!

今日は、以前取材に行ったレンタルスペース「湘南スタジオ」で音楽をとても楽しんでいた、マツモトさんへ独占インタビューしてきました。

なんとマツモトさん、以前プロミュージシャンの方のバックでギタリストをされたりギター教室を開いていたそうです。

その他にも会社を経営していたり、20代でマイホームを建てたり別荘を2軒建てたり、、

単純に、すごい!!!!!お話を聞いてみたい!!!!

というわけで!そんなマツモトさんが所有しているというスタジオにて、松本さんに独占インタビューしてきました!

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▷目次

  • 苦労した貧乏時代、親の愛でまっすぐ育つ
  • バブルが人生を変えた
  • いつか崩壊するとわかっていたバブル
  • 幾多の苦難を乗り越えて語る「成功の秘訣」

 

苦労した貧乏時代、親の愛でまっすぐ育つ

咲恵「松本さん、本日は宜しくお願い致します。」

松本さん「よろしくお願いします。」

マツモトさんは小さい頃、お父様の会社が倒産。そのあとお父様が入院。急に貧乏生活を送ることに。

そんな中、小学生だったマツモトさんはフィンガー5に憧れをいだいたそうです。

松本さん「フィンガー5はデビューしたての頃は、踊りではなくバンド形式。子供がエレキギターを弾いている姿、そしてあのロン毛がすごくかっこよかったんだよね。だけど貧乏だったから、エレキギターも買えなかった。気持ちだけ空回りしていたんだよね。」

そんな時、病院にいるお父様からこんな言葉があったそうです。

松本さん父「何か欲しいものあるのか」
松本さん「お金ないからいい」
松本さん父「言ってごらん」
松本さん「一番今エレキギターが欲しい」
松本さん父「わかった」

するとしばらくして、病院から何かが届きました。開けてみるとそこには、

思い出のエレキ

なんとエレキギター!

お父様が贈ってくれたそうです。

今でも大事にとってあります。

フィンガー5が大好きだった松本さんは、今度はフィンガー5の背景に興味を持ち始めます。

松本さん「沖縄出身ってよく書いてあったので、沖縄ってどんなところかな~と思った。旅行センターの前にパンフがあったから持ってきた。すると必ずと言っていいほど、赤い花が写ってるんだよね。それが、ハイビスカス。」

ハイビスカス

「でも当時は600円くらいしたんですよ。高いでしょう。そんな時に母が買ってきてくれたんですよ。だけど直射日光で蕾がポロポロとすぐに落ちてしまってね。ただその時に思ったんだよ。『もしこのハイビスカスを挿し木で増やすことができたら、働いて苦労している母も働かなくてよくなるんじゃないか』って。だから小学校の図書館に行って、たくさん調べて、そしたら今度は園芸に興味を持った。」

のちに松本さんは園芸の会社を立ち上げることになります。

当時を振り返り、松本さんはこう語ります。

松本さん「父が買ってくれたエレキギター、そして母からもらった園芸への道。お金がなくても親は何か子供にこれだけは与えたいと思うものがあるんだと思う。それがあったから、まっすぐ生きてこれたんじゃないかな。」

親からの深い愛情、それがまっすぐ松本さんを動かしているんですね。

園芸に興味を持った松本さんは、10代のうちに様々な資格をとり、そのまま園芸の道に進みます。しかしとある事情で会社を辞めたそうです。

松本「そうしたら周りが、こういったんですね。『だったら自分の給料を自分で決められるようにならなきゃいけない』と。その時に会社を立ち上げました。それが『松本園芸』。会社といっても一人だったけれどね。それを変えたのがバブルですよ。」

バブルというと。。。

万札

こんな感じですよね!

松本さん「当時は24歳。その時建設ブームが来たんですよ。そんな時に友達がビルの清掃業をやっていて、手伝いにいっていたんです。僕はとにかく、稼ぎたい。稼ぎたい。とにかく稼ぎたかった。だから半年で全部その仕事覚えて、1年後に掃除屋の会社を作りました。それがバブルの好景気に乗りました。」

その後、全部資格を取って、とにかく働きまくり!!!

そこから快進撃が始まります。

29歳の時にビルを建て

マイホームを建て

32歳の時、山中湖と伊豆に別荘を建てたそうです。

(写真はイメージです)

すんごい。。。!!!

私も別荘建ててみたい!

週末に「今日は伊豆に休みに入ってくるわねウフフフ」とか言ってみたいいいいいいいいいいい!

(写真はイメージです)

松本さん「なんで僕がこういう話をしてるか。それはね。頑張りやチャンスがあればそこにたどり着けるんだと言いたいんですよ。だってさ、僕も20代の時に思ったけど、お金がないと自分の魂売らなきゃいけないでしょ。やりたくないことをやらなきゃいけない。だけど、そこらへんに売ってる1万9000円のギター買うなら190万のギター欲しいよね。軽自動車乗るならフェラーリ乗りたいよね。そしたら、稼ぐしかない。稼ぐ。僕は運が良かった。バブルの入り口にいたから。」

確かに、100円のチョコを食べるんだったら、1粒1000円のチョコを食べてみたい。

運だけではなかなかそこまではたどり着けないと思います。そこには並大抵ならぬ努力があったのでしょう。

松本さん「チャンスはいつくるかわからない。目を閉じて寝てたら通り過ぎてしまうよ。しっかり目を開けていよう、心の目をね。

 

 

松本さん「でもね、あの時本当に頑張って働いていたけど、毎日思っていましたよ。『こんな好景気いつまでも続かない』って。『今しかない』って思った。友達なんかみんな20代でしょ、みんな遊んでいましたよ、でも僕は日曜日ももったいなくて絶対休めなかった。とにかく働いていた。そしたら、当たった。やっぱりバブルが崩壊してったね。」

その後日本経済がどんどん悪い方向に向かい、どんどん仕事がなくなり、従業員も離れていった。

松本さん「仕事しても、取引先がお金を払ってくれない。全部手形、小切手でくる。でも従業員には給料を払わなくてはいけない。自分の資産がどんどんなくなっちゃってね。その頃は35,6歳だったよ。従業員が220人からどんどん減って30人くらいになった時に、これはまずいな、と思ったよ。でも自分のやりたいことはもう全部やりきっていたから、気が済んだ。山中湖行ったって、テニスしたくても一人で行ったんじゃできない。フェラーリも乗ったけど、俺が憧れていた車はこんなに乗りにくかったものなのかと。

結局物質的なものでは幸せになれないとわかったんだ。

そのあと倒産に追い込まれた時に、全部手放した。二軒の別荘は手放して、とにかく会社を守ろうと動いた。

松本さん「自分はお金が欲しい、というだけで園芸の道とか音楽の道から外れてしまったんだなあ、、とも気づいたんだよね。一度成功した。十分一通りのやりたいことをやった。会社も今の状態で維持しようと思った。そして35歳くらいの時に、自分の子供の学校に行く機会があって、いろんな人に支えられている姿を見て、何か人の役にたちたいと思った。それで何ができるのかと考えた時に。ギターなら教えられると思って、ギター教室を開いたんですよ。」

ギター教室で教える時に箔がないと生徒が集まらないと思い、その後松本さんはプロのギタリストになり色々な方のバック演奏をつとめたそう。

それでギタリストになったんですと!?行動力がすごい!!

そして園芸もまた始めた松本さんは、自分にずっとそばにいてくれた象徴として、今では家の庭に温室を立てて238鉢のハイビスカスを育てています。品種改良も行う松本さんは、自称「日本一のコレクター」です。これからは静かにゆっくりした時間を大切に過ごしたいと話します。

 

そんな波乱万丈な人生を振り返って、マツモトさんはこう語ります。

松本さん「僕は運が良かった。友人にチャンスをもらった。でもチャンスをもらっても生かすのは自分。チャンスがあっても自分が気がつかなければすっと通り過ぎてしまう。真面目に一生懸命やってる人間に対して、何かが微笑むんですよ。一回成功の土台に乗ると、どんどんどんと早い。商売で成功した僕の仲間はみんなそういう。そこまでが大変なんだよね。最近その理論がわかってきた。」

咲恵「その理論とは?」

松本さん「だいたい会社を興す人間というのは、僕の周りはみんな苦労人ばっかり。お金がない家とか。真ん中が0の世界だとして、マイナスの世界にいるんだよ。僕はマイナス100の世界に生まれてきたと思ってる。上を見たらまず0にするのが大変。父の借金がまだ2000万円くらい残ってたのよ。だから会社立ち上げてから一番最初にそれを返して、0に戻した。それをまず0にしないと、何をしても楽しめないなと思ったんだよ。」

そんな松本さん自身は、借金を一度もしたことがないといいます。

私はおそらく0の世界に生まれてきたのだろうと思います。上がるも下がるも自分次第。

「ダメなんだよ俺、こういう話になると一生懸命になっちゃって。(笑)特に若い人がいるとさ、こういう話しちゃんだよ。」と笑う松本さんに聞いたこのお話、これから仕事をして行く上で、生きて行く上で、とても重要なことだと思いました!

頑張ろう。私も。みんなに夢を見せられる人になろう。

松本さん、たくさんの熱いお話、ありがとうございました!

次回の記事は2月26日(月)に公開です!
しょうたくんがリポートしてくれます。
お楽しみに!

以上、咲恵でした!!